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Profile

- Namiko Suzukiとは -

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Namiko Suzuki
グローバル教育コンサルタント

私のお仕事

私は海外大・大学院出願のスペシャリストです。生徒が一番成長できる出願プロセスにするためカリキュラムを発展させ、デザインし、そして教育しています。その上で、個人、グループともにコンサルティングを行い、学ぶ場を作っています。

 

また、生徒主体の活動を通し、個別、コミュニティ問わず良い経験となる学びや、発想を引き起こす会話を提供しています。

私の最終的な目標は、教育や経験を通じて若い世代の成長を促し、より公平、安全で充実できる世界を創るお手伝いをすることです。

経歴

  代表: ナミキズム教育コンサルティング 

2017 - 現在

私は私自身がそうであったように、より良い未来を模索し、もがく若者を支えるためにこのビジネスを始めました。ただ課題を出すだけでなく、生徒が時間を管理し、自分自身でできるようにすることを徹底しています。それに加え、生徒が個人のことやこれからの将来のことでアドバイスが必要な場合は個人的にカウンセリングも行っています。出願コンサルティングにおいては、体系的なカリキュラムを通して自分を見つめ、受け入れ、自信を持って留学に飛び立てる準備を心がけています。

  講師/ 大学出願コンサルタント. Agos Japan  

2014 - 2021

Agos Japanは留学を志す日本の学生や社会人のテスト対策や出願コンサルティングを提供する塾です。

 

講師として私は、日本の学生に日本語と英語の両方で教養科目を教えていました。英語力や学ぶ力があまり高くない生徒にも堪能な生徒にも指導を行えます。Agos Japan以外にも、大学で授業を行っていました。

大学出願コンサルタントとしては、お手伝いした合格件数は世界中で2000を超え、奨学金のノウハウを培いました。私は生徒が生徒自身の個性や興味に最も合った大学を見つけられるような指導を目指すことになったきっかけをいただきました。

  副塾長/ 講師. JPrep  

2013 - 2014

私は幸運にも、社会人になって間もなく教育関係のスタートアップに携わることができました。私たちが立ち上げたJprepは、日本の10代の若者に質の良い英語教育を提供することを目標としています。留学や、日本のトップ10の大学を目指す生徒には長期的なプランで合格の手助けをしています。

 

私はここでカリキュラム設計、ルール設定、その他様々なイベントづくりを行いました。そして、教育にはコミュニティが必要不可欠であることを学びました。

Personal History

- 生い立ち -

日本、山形(1985)

日本、山形(1985)

私は山形にある小さなレストランを経営する家族の4兄妹の末っ子として生まれました。毎日友達と遊び、勉強しろと言われることもなく自由奔放に過ごしてきました。しかし、家庭事情は複雑でした。父が双極性障害になり、私達に「殺すぞ」と脅してきたこともありました。母は超が付くほどの批判家で、私が何かを達成したり、気遣ったりしても褒めてくれることはありませんでした。私が日本を出たいと思い始めたのは、このような命の危険を感じる家庭事情が根源だと思っています。

カナダ、バンクーバー(2004)

18歳の時、私は日本を出てカナダに留学することを決意しました。当時は、国際連合で働くことが夢でした。日本の田舎で生まれ育った私は英語があまり得意ではなく、このままではいけないと思い、太平洋を超えることから始めようと思いました。しかし、無事カナダに渡ったものの、私が陥ったのは広場恐怖症(過度の不安症)でした。家を出ることができなくなり、それから2年間、引きこもりました。

カナダ、バンクーバー(2004)
カナダ、バンクーバー (2006)

カナダ、バンクーバー (2006)

広場恐怖症で衰弱している中、私は外を見たい気持ちにもなりました。そして、バンクーバーのファーストバプティスト教会のホームレスシェルターにボランティアに行きました。そこで、不平等、麻薬中毒、精神病、その他様々な困難と戦っている人々の現状を目の当たりにしました。同時に、私は老人ホームで音楽療法のアシスタントとしてもボランティアをし、お年寄りの方たちがリクエストした曲をピアノで弾きました。これらの活動を通じて、私はこれからも人を支える仕事を続けていくべきだと悟ったのです。

ケニア(2008)

コロンビア大学に通うためにニューヨークに行くには、私は広場恐怖症を克服しなければなりませんでした。そして、アフリカに行くことを思いつきました。唐突すぎるように聞こえますが(実際そうでした!)、アフリカで生き残れたらどこでも生き残れると考えたのです。アフリカでは何回もパニック症状になりましたが、重力、水、空気、そして人が存在する限り、どこでも生きていけるという自信をつけることができました。

ケニア(2008)
ニューヨーク、国際連合 (2010)

ニューヨーク、国際連合 (2010)

ニューヨークで学んでいる時、国連本部の日本国連代表部でインターンをすることになりました。夢が叶ったのです!ラッキーなことに、2010年の国連総会は私の注目していたミレニアム開発目標に焦点をおいていました。アフリカに2年間いた私にとって、国際政治という分野でどれだけ開発問題が重要に扱われているのかを知れたことは本当に幸運であり、同時に呪いとも言えました。そしてその時私は、国際連合は自分がいるべき場所ではないと感じたのです。

ニューヨーク、コロンビア大学 (2012)

コロンビア大学では、自己の確立について追求したく、社会学と哲学を二重専攻しました。言い換えれば、自分自身と世界の繋がりについて知りたかったのです。未だ広場恐怖症が完治しておらず、クラスでパニックになるかもしれない恐れと毎日戦っていた私にとっては、これらの教科は自分と向き合うのに効果的でした。また、良い精神科医に出会い、広場恐怖症も徐々に快方に向かいました!コロンビア大学では、いくつかの名のある奨学金を受賞し、優等で卒業しました。

ニューヨーク、コロンビア大学 (2012)
日本、東京 (現在)

日本、東京 (現在)

国際連合や外務省では、私が学んだことを活用しても最も効果的に貢献できないということを知り、心が折れました。そしてそれが私は教育の分野でゼロからスタートしようと決意した理由でもあります。もし私が若い世代の可能性を開花させたら、世界はもっと良いものになるという信念が今の私を象っています。私は私の生徒の生徒である教育者です。この場が私に最も適していると実感しています。

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